今回のジャズピアニストはこの方。
Jazz Piano
ライル・メイズ
Lyle Mays (1953-)
■USA
「パット・メセニー・グループの重要な柱」
バイオグラフィー
1953年11月27日ウィスコンシン州ウォーソーキー生まれ
ライル・メイズがパット・メセニーの相棒、と言う以外の評価をどれだけ受けることができているだろう。
ノース・テキサス州立大学音楽部ラブ・バンドと言えば、東のバークリーと並ぶ優れたプロミュージシャンの育成機関だが、メイズはそのエリート卒業生だった。
ラブ・バンドが毎年出しているアルバムが、75年のグラミー賞に例外的にノミネートされた時、そのアレンジを担当していたのがメイズであった。
CDはネットでもまず見つからないので持っている人は教えてほしい。笑
だが、同じ年、ウィッチタで催された音楽祭でメセニーに巡り会ったことこそ、彼のミュージシャンとしての人生を決定したと言うことに異論はないだろう。
77年の「ウォーター・カラーズ」からメセニーグループの重要な柱であり続けてきたメイズは、やはりその特徴的なシンセのサウンドによって、多くの人々に記憶されている。
例えばメセニーとメイズを中心にして制作された「ウィッチタ・フォールズ」での広大な青空と乾いた空気を感じさせるあのサウンドは、メイズ初のソロアルバム「心象風景」(洋題は「Lyle Mays」)に共通のものであり、この響きだけがもたらし得る感動が確かにある事は否定できない。
Lyle Mays
ところが、冷静に聞聴き返してみると、これらのアルバムの中でのシンセは主に、テーマ的なくアンサンブルの部分にしか使われておらず、アドリブソロではほとんどアコースティック・ピアノが用いられている。
ここにBill Evansに影響を受けたと言うメイズのジャズ・ミュージシャンとしてのアイデンティティーを見ることも不可能ではないが、他方、アドリブよりも、そのシンセの響きこそが多くの人々にメイズならではのものを感じさせると言う事実に、ライル・メイズの問題が存在しているとも言えるだろう。
おすすめの一枚はこちら
ライルがピアニストとしての才能をちゃんと見せてくれているこのアルバム。
シンセでも電子ピアノでもない、生のピアノを演奏するこの音色は、これこそ彼の原点であり、アイデンティティーと言える1枚だ。