BLUE HIP 尻の青いのブログ

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外見的インパクトは抜きにして純粋に彼の音楽を聴け...『ミシェル・ペトルチアーニ』


どうも青尻です。

今回はジャズ批評No.69からこの方。

Jazz Piano
ミシェル・ペトルチアーニ
Michel Petrucciani (1962-1999)
■Franche→USA


「外見的インパクトは抜きにして純粋に彼の音楽を聴け。」

1962年12月28日フランスのオーランジェ生まれ。

ペトルチアーニがこれほどまでの存在になったのは何故か。

ご存知のようにグラス・ボーンと言う希病のため身長90センチ。ペダルへもそのままでは足が届かないにもかかわらずパワフルな演奏この意外性か?否定はできない。だがその外見的インパクトだけでは、ここまで注目され続けることはできない。

本人も認めているが、Bill Evansの影響が言われる。
しかし、「僕のトリオとエヴァンスのそれとはアプローチが違う。彼は完璧な演奏より完璧にしようとしていた」とペトルチアーニは言う。
Bill Evans

ペトルチアーニは、気まぐれとも思えるノリでコード進行の場を変えてしまう。例えば「枯葉」のサビ、3小節目を自滅に変えてしまう。戸惑うベーシストも次の瞬間にはついてくる。インタープレーの代名詞のように言われるエヴァンス70年代に入ってからは、同じメンバーのものでは演奏にそう違いは無い。

ペトルチアーニのTrioは2日続けて聞いても、同じ曲を全く違うアプローチで弾く。そしてタッチの強さ。Bill Evansの感触もお馴染みのあのポーズ(鍵盤から5センチと指を離さない)を考えると相当強いと想像できるが、ペトルチアーニの場合は、鍵盤が自分の胸のあたりに位置しているので、フォルテシモの場合は頭より高いところから振りおろされ、聴覚的には、Bill Evansのそれよりもハードである。このような、Bill Evansには終生見られなかったパーカッシヴな演奏(ときにはクラスター奏法も見せる)も、彼の魅力の1つだ。
好きなミュージシャンにオーネット・コールマンを上げている。これも彼の音楽の良さになっていると言えるだろう。
Ornette Coleman

父と兄ともにミュージシャンと言う家に生まれる。15歳、家にクラークのグループでデビュー。81年、18歳の時初リーダー作ミシェル・ペトルチアーニ。リー・コニッツとのデュオでツアー、レコーディングを経て82年渡米。カリフォルニアのサンタ・バーバラで庭いじりをしていたチャールズ・ロイドは「神のみちびき」によってペトルチアーニと出会った、と語った。66年にKeith Jarrettを擁して一生を風靡した鬼才が蘇り、そしてフランス人のペトルチアーニが世界的に知られることとなった。

82年7月モントルーのライブで当時の興奮を体験できる。米でのレギュラートリオ、パレ・ダニエルソン(b)にエリオット・ジグモンド(ds)とのトリオは84年のヴィレッジ・ヴァンガード・ライブの他に、ブルーノート第一弾ピアニズムがある。前述のものとは違うが、このメンバーにジム・ホールがゲストで加わったヴァンガード・ライブは映像がある。

彼がピアノの化身と呼ばれた理由がひしひしと伝わってくる感動的な映像だ。

そのジム・ホールとのディオ「パワー・オブ・スリー」はブルーノートからのレコードに加え、映像も発売された。
ショーターはあくまでゲストであり、ペトルチアーニとジム・ホールに「アンダーカレント」がオーバーラップしてくる。